こんにちは、はんの玉栄堂です。
前回は、福岡県志賀島より出土した、漢倭奴国王と刻まれた金印について書きました。
纏向デジタルミュージアムより
今日は、邪馬台国の卑弥呼が授けられたという、親魏倭王(しんぎわおう)の金印について紹介します。
ただ、この金印は、「魏志倭人伝」に記述があるものの、実物が見つかっているわけではありません。
邪馬台国については、従来から、その位置についても、大和説と九州説が対立していますが、もし、金印が見つかれば、邪馬台国がどこにあったのか、その論争にも終止符が打たれることになります。
学校向けの、興味深い動画がありました。
弥生時代、卑弥呼が大きな力を持っていた頃です。
あれ、○○さん、「鎌倉殿の13人」だけではなく、ここにいらしたんですね(*´ω`*)
興味のある方は、ぜひご覧ください。現在の子どもさんたちは、こうした角度からも歴史を習うことができて、かなりうらやましいです。
【金印はハンコとしての使用はなかった】
さて、2回に渡って紹介してきた、「金印」ですが、
これらがどのような目的で使用されていたのかは、一切わかっていません。
おそらくは、実際に使用するのではなく、中国の皇帝によって正式に認めれらた王としての地位・権力の象徴として、宝物のように大切にしまっておかれたものでしょう。
つまり、この金印は、中国からもたらされた貴重な物品にすぎず、日本のはんこの歴史には、直接は関係がないということになります。
はんこって、本当に深いですね。
わくわくします。この中国からもたらされた金印のあと、日本のはんこは、どのような変遷を経て、今に至るのか、これからも一緒に見ていただけると、嬉しいです。
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